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生きている意味

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「生きている意味」で検索すると、まったくもってネガティブなことしか書いてなくて。
なので、ちょっと考えてみようと思いました。

考えているひとは、ちょっとお付き合いくださいませ。


生きている意味ってなんだろうって、考えちゃうひとは考えちゃうと思うのだけれど。
考えないでも楽しい人生を送っているひともいる。

意味があったとしても、それは、こじつけのようなものかもしれなくて。


スピリチュアルなことかもしれないし、そうではないかもしれないけれど、
未来人曰く(笑)運命というのは大筋では決まっているらしいです。
それこそ、宇宙ができた瞬間から。

私たちに与えられるのは、細かな選択のみ。
でも、どれを選択しても大筋の未来は変わらない。
というか、本当は、どれを選択するのかも決まっているそう。
考えれば分かるけれど。
私たちには好き嫌いがあり、性格があるのだから、あらゆる可能性があったとしても、選ぶ可能性のある選択肢というのは限られている。


そんな世の中での生きている意味っていうのはどんなことなのか。



どうして生きているのか。どうして考えているのか。
それを考えた時は、どうしても、スピリチュアルな方向にいかざるを得ない。

楽しいから生きている。やりたいことがあるから生きているなんていうポジティブな答えでもいいかもしれない。
でも、そうではない人は、どうすればいいのか。
好きなこと探せばいいとか、そういう答えを与えたところで、その人がもっている悲しみとか寂しさとかの積もった負の想いというのは、消えるわけではない。


ひとというのは、知ろうとする生き物だ。
子供の頃にはきっと、多くのひとが親や大人に「どうして?」とか「あれなに?」とか訊いたことだろうと思う。
これは、生きようとする本能なのかもしれない。
知らなければ、生きていけないから。
でも、生きていくのに関係ないことも知ろうとするようになる。
哲学、文学、歴史、宗教、他にもそこまで知らなくてもということはたくさんある。

どうして、知ろうとするのだろうか。

親や教師になったときに、子供に教えるためかもしれない。

でも、どうしてその学問が生まれたのか。
記憶に留められるように学問になったのか。
多くのひとに伝えるために学問になったのか。

つまり、知ること=学ぶこと なのだけれど。

ひとは、どうして学ぶのか。

歴史なんかは分かりやすいかもしれない。
戦争を繰り返さないために。
「Good Practice」を活かすために。

より良い世界にするため、なのではないだろうか。

答えは、私たちは、より良い世界にするために生きている。
なのではないか。


仰々しく聞こえるかもしれない。
そんな余裕なんてないかもしれない。

どうして、私はこんなに不幸なの。
って思っているひとがどこかにいるかもしれない。

そのどうしての答えも、同じだ。

悲しいことも全部に意味がある。

暗い歴史から学んだように。


深く考えてみるといい。
どうして悲しいのか。不幸なのか。楽しいのか。嬉しいのか。

例えば、いじめられているとする。
どうしていじめられるのか、だと、自分や身内を振り返ることができる。
どうしていじめるのか、だと、相手のことを知ることになる。

親が外国人だから。
どうして、自分の親は外国人なのか。どうして両親は結婚したのか。どこが好きで結婚したのか。どんな夢をもっているのか。
考えていくと、いじめられた原因がとてつもなくしょーもないことだっていうことに気がつくだろう。

どうしていじめるのか、となると、本人に訊かない限りはよくは分からないかもしれない。でも、こちらにも原因というか、意味は必ずある。
自分の心の傷に気がついていない場合も多くあるだろうと思う。

ひとには、何かしらの事情というものがある。
意味があるから、行動を起こすのだから。

その意味を知れば、何が大切なのかを知ることができる。


それはとても難しいことだけれど。


すべてのことに意味がある。

知ろうとしなければ、より良い世界にはならない。
知ろうとしなければ、なんの意味もない。
むかついた。悲しい。だけで終わってしまっては、なんにも成長しない。

ただ、このことを知っているひとは、誰かが発した「悲しい」から多くのことを学ぶことができる。

なかなか、本人に教えてあげるということは難しいかもしれないけれど。


もちろん、これが正解かどうかは、分からないけれど。


その「悲しい」の原因はなーんだで済むようなことだといいけれど。

病気や障害、事故とか失敗など、あらゆるマイナスと思われることにも意味がある。
病気になった時の感情。不自由になった時の想い。

誰かの心を知れば、あたかも自分が体験したかのような感覚になるだろう。
闘病記や体験記は素敵なものだ。
もうひとつの人生を歩んだような気分じゃないか。
それって、なんかお得な気がしないだろうか。

誰かに何かを言われた時、嫌だなって思ったら、自分は言わない。
嬉しいことを言われたら、自分も誰かに言おうって思う。

手記の類には、たいてい書いてあるはずだ。
こう「思った」と。
それは、小説なんかも同じで。


こんな積み重ねが、世界を変えていく。
ちりも積もれば。ね。


だから、発信することって、大切なんだよ。

ネットでも、小説でも、SNSでも、誰かとおしゃべりすることも。


どうしても、ポジティブな方向へいかない時は、誰かに相談するといい。

私でもいい。

ゆっくり、考えよう。




もし、考えたところで、周りの環境が変わらないくて、ずっと同じなら、無理しなくていい。もやもや抱えたまま死んじゃったりすることは、なによりも良くないことだから。

頑張って社会にでようとか、学校行こうとか、思わなくていい。


相談するひとは、まあ、選ばないと大変なことになっちゃうかもしれないから、どんなひとがいいのか、ヒント。

優しいひとがいいよ。

探すの、難しいかもしれないけどね。

バランスのとれたひとがいい。
ポジティブなひとに相談しても、理解してもらえないかもしれないしね。


お坊さんとか、いいかもしれない。

色んな本を読んでもいい。
何か、見つけられるかもしれない。


どうか、素敵なものを見つけられますように。

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〔テーマ:思うことジャンル:学問・文化・芸術

 









        
 
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